2009年02月16日
熊本城
熊本城の大天守閣と本丸御殿
熊本城は大天守閣と小天守閣があって、明治10年(1877年)、西南戦争の年に焼失してしまいました。現在の大小天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に復元されたものですが、瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現され、大天守閣は地上6階地下1階、石垣の上から高さ約30m、小天守閣は地上4階地下1階高さ約19m。内部には加藤家、細川家、西南戦争の資料を展示してあります。
熊本城は大天守閣と小天守閣があって、明治10年(1877年)、西南戦争の年に焼失してしまいました。現在の大小天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に復元されたものですが、瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現され、大天守閣は地上6階地下1階、石垣の上から高さ約30m、小天守閣は地上4階地下1階高さ約19m。内部には加藤家、細川家、西南戦争の資料を展示してあります。
熊本城は別名「銀杏城」と呼ばれその名の由来になっているのは、城内に植えられた銀杏(いちょう)の木である。これは、篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたという。朝鮮出兵での蔚山城籠城戦での苦しい経験を生かしているといわれているが、この銀杏の大木は雄木なので実はならず、城内を知らない者が後世創った俗説と考えられる。
また、清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう。」とつぶやいたという言い伝えがある。明治時代、清正が植えた銀杏の木は天守とほぼ同じ高さになっていたが、明治10年に西南戦争が起こり、熊本の城下が戦場となった。 また、同様に篭城時の食料の確保に関して、清正は城内の建物の土壁に干瓢(かんぴょう)を塗篭め、畳床には食用になる里芋茎を用いて備えたという。
城内には篭城戦に備えて140以上もの井戸が掘られてあったという。
加藤清正公によって創建され、藩主の居間や対面所(接客の場)などに使われた熊本城の中核をなす建物です。
本丸御殿は西南戦争直前に天守閣とともに焼失した。現在の本丸御殿は熊本城復元整備計画により復元したもので、往事の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能が備わっていた。
平成15年の秋から復元工事がはじまり、平成20年春に落成を迎え、一般公開されました。
大広間(対面所)、数奇屋(茶室)と大御台所を復元された。
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
Posted by jijii at 14:27│Comments(12)
この記事へのコメント
熊本城・・・。きれいなお城ですね。(^^)
北国にはお城と名の付く所は松前城跡くらいで後はお堀が
残っている五稜郭があるだけです。
函館に一年半くらい居たことがあり時間があれば五稜郭の
お堀や赤レンガ倉庫群のある西部地区に散歩しに出かけて
いました。春先の五稜郭ではエゾヤマザクラが辺り一面に
淡いピンクの色をつけ枯れ葉を燃やす煙りに霞みのどかな
印象を受けた記憶があります。
復元されたお熊本城の室内の豪華さに驚いてしまいました。
奥のふすまが開いて、お殿さまと家来が今にもひょっこり
出てきそうですね。(^^)
北国にはお城と名の付く所は松前城跡くらいで後はお堀が
残っている五稜郭があるだけです。
函館に一年半くらい居たことがあり時間があれば五稜郭の
お堀や赤レンガ倉庫群のある西部地区に散歩しに出かけて
いました。春先の五稜郭ではエゾヤマザクラが辺り一面に
淡いピンクの色をつけ枯れ葉を燃やす煙りに霞みのどかな
印象を受けた記憶があります。
復元されたお熊本城の室内の豪華さに驚いてしまいました。
奥のふすまが開いて、お殿さまと家来が今にもひょっこり
出てきそうですね。(^^)
Posted by 北の旅烏 at 2009年02月17日 15:17
なんとも穏やかなお城のたたずまいですね。
それに銀杏の落葉の黄色い絨毯、ふかふかで気持ちよさそうですね。思わず見入ってしまいました。
それに銀杏の落葉の黄色い絨毯、ふかふかで気持ちよさそうですね。思わず見入ってしまいました。
Posted by 松田まゆみ at 2009年02月17日 16:22
北の旅烏さん有難うございます。
あァ、そう仰れば北海道には、こちらにある様な高い櫓のお城は見かけませんねえ。
そのような城を構えて戦争をする必要も無かったのでしょうねえ。
北海道にはこちらにはない素晴らしい名所がいっぱいありますよねえ。
爺婆も5,6回は北海道旅行をしましたが、もう一度行きたい気持ちはありますが、
もう歳を取りすぎまして、体力も元気も無くなりました。
あァ、そう仰れば北海道には、こちらにある様な高い櫓のお城は見かけませんねえ。
そのような城を構えて戦争をする必要も無かったのでしょうねえ。
北海道にはこちらにはない素晴らしい名所がいっぱいありますよねえ。
爺婆も5,6回は北海道旅行をしましたが、もう一度行きたい気持ちはありますが、
もう歳を取りすぎまして、体力も元気も無くなりました。
Posted by jijii at 2009年02月17日 17:19
松田まゆみ さん有難うございます。
昔の武将やお殿様は、戦争ばかりする無骨者では無かったのですね。
堅固で守りに強いだけでなく、美しく優雅なお城を残してくれたのですねえ。
昔の武将やお殿様は、戦争ばかりする無骨者では無かったのですね。
堅固で守りに強いだけでなく、美しく優雅なお城を残してくれたのですねえ。
Posted by jijii at 2009年02月17日 17:26
jijii さま
外からは見ただけではこの豪華な内部は感じ取れませんね。
立派なお城に住んでいても何時責めてこられるか案じながらでは
お気の毒!(笑)
140以上の井戸があったとは・・・スケールが大きいですね。
天井絵などこの目で見て見たいです。
外からは見ただけではこの豪華な内部は感じ取れませんね。
立派なお城に住んでいても何時責めてこられるか案じながらでは
お気の毒!(笑)
140以上の井戸があったとは・・・スケールが大きいですね。
天井絵などこの目で見て見たいです。
Posted by クッキーママ at 2009年02月17日 22:34
クッキーママ さん有難うございます。
日本も戦乱の時代がありましたねえ。そして明治、大正、昭和と隣国をも征服の野望を抱き、
ついには無謀な大国との戦い、世界を相手の戦争をも始めてしまいました。
今ある平和を感謝して、地球上から争いの消える日が来るよう祈願します。
日本も戦乱の時代がありましたねえ。そして明治、大正、昭和と隣国をも征服の野望を抱き、
ついには無謀な大国との戦い、世界を相手の戦争をも始めてしまいました。
今ある平和を感謝して、地球上から争いの消える日が来るよう祈願します。
Posted by jijii at 2009年02月18日 10:00
見事なお城ですね。それに内部もとても豪華に復元されているんですね実物を見たくなりました。
Posted by Ina at 2009年02月18日 12:26
Ina さん有難うございます。
北九州にも復元された小倉城がありますが、熊本城のスケールの大きさはその比ではありません。
機会がありましたら、是非訪れて下さい。
北九州にも復元された小倉城がありますが、熊本城のスケールの大きさはその比ではありません。
機会がありましたら、是非訪れて下さい。
Posted by jijii at 2009年02月18日 17:19
本丸御殿、昨年と1月2日に行きました。昨年公開されたばかりだそうですね。人は多くなかったですか?
1月2日は人がめちゃくちゃ多かったです。熊本の人は初詣に天守閣に上る人がけっこういるんですね。藤崎宮(熊本市)よりも人が多かったような気がします。
1月2日は人がめちゃくちゃ多かったです。熊本の人は初詣に天守閣に上る人がけっこういるんですね。藤崎宮(熊本市)よりも人が多かったような気がします。
Posted by Jun Rajini at 2009年02月20日 00:48
Jun Rajini さん有難うございます。
ご無沙汰しております、jijiiもすっかり歳を取りましてボケ爺ィになりました。
jijiiたちが行ったときは少なくもなく多くもなしの快適に見せていただきました。
なにせ足腰が弱くて天守閣には登れませんでした。
ずい分昔のお話ですが、父の出身が熊本のでして、戦中八代で3年ほど過ごしました。
ご無沙汰しております、jijiiもすっかり歳を取りましてボケ爺ィになりました。
jijiiたちが行ったときは少なくもなく多くもなしの快適に見せていただきました。
なにせ足腰が弱くて天守閣には登れませんでした。
ずい分昔のお話ですが、父の出身が熊本のでして、戦中八代で3年ほど過ごしました。
Posted by jijii at 2009年02月20日 10:05
jijiiさん、おひさしぶりです。
熊本城は小学校の修学旅行で行ったきりです。何も覚えていません。
修復が終わったそうで、見に行きたいなあと家内と話していました。
西南戦争は相当広い地域で戦火があったようで、私の実家のある臼杵でも
市街戦があり、町の大部分が焼けたそうです。その際うちの先祖の店(瀬戸物屋)も
消失したのだそうです。
文禄・慶長の役といえば、韓国の晋州(チンジュ)に行った時に攻められた側の展示を博物館で見ました。晋州城の跡に博物館が出来ています。石垣も残っています。
韓国沿岸域にはあちこちに倭城(わじょう・日本の城)の跡の石垣が残っているそうです。
先日書店で「山城夢幻行」(絵・文 小幡政義 読売西部情報開発 1500円)と言うのを見つけ買いました。
北九州地区と韓国南部のお城跡を鳥瞰図で眺めながら歴史をたどると言うものです。
韓国の倭城の知っている名前のものがほとんど出ていたので、いつかゆっくり旅をしたいなあと思いました。
その前に熊本城をしっかり見に行きたいと思います。
熊本城は小学校の修学旅行で行ったきりです。何も覚えていません。
修復が終わったそうで、見に行きたいなあと家内と話していました。
西南戦争は相当広い地域で戦火があったようで、私の実家のある臼杵でも
市街戦があり、町の大部分が焼けたそうです。その際うちの先祖の店(瀬戸物屋)も
消失したのだそうです。
文禄・慶長の役といえば、韓国の晋州(チンジュ)に行った時に攻められた側の展示を博物館で見ました。晋州城の跡に博物館が出来ています。石垣も残っています。
韓国沿岸域にはあちこちに倭城(わじょう・日本の城)の跡の石垣が残っているそうです。
先日書店で「山城夢幻行」(絵・文 小幡政義 読売西部情報開発 1500円)と言うのを見つけ買いました。
北九州地区と韓国南部のお城跡を鳥瞰図で眺めながら歴史をたどると言うものです。
韓国の倭城の知っている名前のものがほとんど出ていたので、いつかゆっくり旅をしたいなあと思いました。
その前に熊本城をしっかり見に行きたいと思います。
Posted by Kiyo at 2009年02月21日 07:06
Kiyo さん有難うございます。
小学校の修学旅行で行ったのですか、ずい分昔のことですね。
jijiiも意外と近くに、こんな立派なお城があるのに見過ごしていました。
今回はツアーの帰りに立ち寄ったので時間も少なく、体力もありませんで
天守閣にも登らず、ゆっくり見て廻ることもしませんでした。
次回、またゆっくり見学したいと思っています。
小学校の修学旅行で行ったのですか、ずい分昔のことですね。
jijiiも意外と近くに、こんな立派なお城があるのに見過ごしていました。
今回はツアーの帰りに立ち寄ったので時間も少なく、体力もありませんで
天守閣にも登らず、ゆっくり見て廻ることもしませんでした。
次回、またゆっくり見学したいと思っています。
Posted by jijii at 2009年02月21日 11:38